トミタ・イチロ−の訪韓記
は昨年、なにやら仕事が重なって、外へ一歩も出ず机の前ばかりの毎日がやっと終わった頃、田代しんたろう氏からの渡韓のお誘い。何か変化がほしいなあと思っていたところだったので、さして迷うこともなく参加を決めた。韓国は初めて。どんな所だろうか。それに同行のおだ辰夫さん、いわみせいじさんにも初めてお会いするしね。わくわく。 1月14日の昼頃ソウル郊外の仁川国際空港に着いた。暖かい。日韓漫画年賀状展は明日から10日間、ソウル特別市内の興国生命ビルというたいそう立派な所で開かれる。昨年暮れの日本ラウンドの展示を見ていなかったので、はじめて諸姉兄の作品を見るという楽しみもありました。インターネットで見てはいても、やっぱり実物を見なくちゃね。日韓にかかわらず紙にペンと絵の具で描いた作品は、作者の体温が感じられていい。このところパソコン頼りの小生、反省。さて、オープニングパーティが始まったので、全作品を見切れず、残りは明日ということにして、パーティ会場へ。沢山のえらい人達が挨拶をし、田代氏の音頭で乾杯。通訳ボランティアを引き受けて下さった浦川広子さんは魅力的なお嬢さんだ。もっとも彼女は代表田代しんたろう氏につきっきりなので、こちらは言葉がちっともわかりましぇーん。身振り手振りで2、3人の若い漫画家さんたちとなんとかエールを交換したつもり。二次会は別の場所へ移動して田喜久(ジュン・ヘエゴオ)氏にご馳走となる。彼はソウル市蘆原区の生活福祉局長と名刺にあった。たまたま氏の隣に座り、「山」焼酎を酌み交わすうち同年齢と分かった。もっとも彼は半年ほどお兄さんなので、慌ててお銚子を片手(では失礼)から両手で持つことにする。年齢の上下での対応、食器を持ち上げてはいけないなど、ご当地の慣習にまだ慣れていないが、文化の差に戸惑うこと、むしろ楽しんでいる。今宵の宿「鳳凰荘」に戻ってカツーンパンチの若い漫画家さんたちと交流、プレゼントの交換。 2日目、会場で昨日見切れなかった作品を見る。後で聞いた話、日本のような手づくり年賀状のような習慣は韓国にはないそうだ。午後、似顔絵コーナーで製作に励む田代氏をデジカメでスナップし、外をうろつくことにする。なんせ20年も似顔絵描いてないんで、申し訳ないが似顔絵コーナーの席に座ることを鄭重にお断りして、会場の北、景福宮にいってみる。残念なり当日は休館日、隣の国立中央博物館が開いていたのでそちらをのぞく。1階の先史、高句麗、百済、新羅の時代の展示を興味深く丁寧に見ていたら、2時間もかかってしまいなんだか疲れてしまった。後は次の訪韓の時にするべえ。夕食は韓国漫画家協会の招待にあずかり、豚の脚(沖縄や台湾のトンソクですな)を食べる。うまい。真露(25度)の百歳酒(13度の薬用酒)割りを何杯も頂戴する。うまい。が、飲み過ぎた。ここでは在韓の加納由美さんの通訳がなければ、もちろんどうしようもなかった訳です。 3日目、韓國漫画博物館へ。まだ新しいこのミュージアムをチョ・クヮンジェ所長の案内で拝見。ソウル郊外(車で小1時間)の施設は、さいたま市大宮の北沢楽天漫画会館もヒントになっているそうだ。午後再び、漫画展会場へ戻り、田代、おだの両氏は似顔絵コーナーへ(いわみせいじ氏は都合で昨日帰国)。申し訳ないが小生はまた外をうろつく。近くに農業博物館を見つけた。3階建ての館内の展示は豊富で、期待を裏切らず、しかし、またまた一所懸命に見たので疲れてしまった。夜、キム・スジョン協会会長とキム・ドンファさんに案内され、マッコリ(どぶろく)の店に行き、ご馳走となる。たっぷりたっぷり頂戴す。 4日目、夕方の飛行機までフリー。他の2氏は買い物へ。当方は、地下鉄で2駅先にある梨花女子大の中の博物館をめざした。文字読めず、言葉わからずでこの移動も結構冷や汗ものだったんですよ。たどり着いたら休館でした。ま、しょうがない。甘くて柔らかい女子大の街特有の空気を吸いつつ、ぶらぶらして戻る。 うまい食べ物、お酒を頂戴し、たくさんの人に会えたこと、痛風の発作も出なかったし感謝感謝カムサハムニダ。バッテリーに充電しました。 (トミタ・イチロ−) ●トップページに戻る ●これまでの経緯に戻る ●おだ辰夫レポート |