●渡韓ウラ報告●

日韓漫画交流詳細旅日記(田代しんたろう篇

   12月19日(火) 

 恒例の「日韓ユーモア漫画家年賀状展」のための渡韓。
 今年は、おだ辰夫さんと二人旅。昨年の七名と比べるとちょっとさびしい。
午後4時半、金浦空港到着。入国審査官が英語で話しかけてくる「・・・・Puchon Cartoon Festival ・・・・nanjaramonjara?」「Yes Yes I'm guest Cartoonist・・・・」 「I'll go to festival tomorrow」「えっ!ホント?Meet again」握手までしちゃっ て。よくわかったなぁ、富川(プチョン)へ行くなんて。
 富川(プチョン)漫画情報センターの宋(ソン)さんと通訳のファンさんが迎えに出ていたら しいのだがわからず、地下鉄でチョンノサムガの定宿「鳳凰荘(ポンファンジャン)」へ。
 7時過ぎにカン・イルグさんはじめ若手漫画家グループ/カトゥン・パンチの仲間 七名がやってくる。シン・ミョンファンさんに彼女ができてた。
 情報センター通訳のファンさんから電話。「宅急便を連れて近くにいるので凧(展 示会場の装飾用)を受け取りたい」通りまで出ると待っていたのはバイク便。大きな 凧を荷台にくくりつけてバリバリバリ、ぶっ飛ばして行ったけど大丈夫かな?ソウル ではバイク便はよく活躍していて、人の背よりも大きい開店の花輪を荷台に付けて 走ったりしている。
 カトゥン・パンチのみんなと仁寺洞(インサドン)の居酒屋へ。「オウロンドウロン」。 トンドン酒をやりながらワイワイ。通訳の浦川さんはいないが、おださんのハングル で盛り上がる。牡蛎入りのチジミがマシイッソヨ(おいしい)。
 みんなで鳳凰荘へ戻り、オンドル部屋でカイバイボー(ジャンケンポン)でお土産の分配 会議。これも例年通り。

 12月20日(水) 

 近くのモギョタン(沐浴湯/銭湯)で朝風呂。地下鉄ひと駅ほど離れたヘジャンクク の有名食堂まで散歩。「チョンジンオク(精進屋)」。ヘジャンククというのは牛の血 の固まりとか臓物入りの雑炊。二日酔いに効くという定評。
 帰路、マクドナルドでコピ(コーヒーはこう発音する)。おださんはハングルの勉強 に熱心で、わからない看板の文字なんかがあったりすると即メモしている。「宿に 戻ったら辞書引こ」えらい!
 11時45分、宿近くで漫画情報センターから依頼を受けた通訳のパク・ヨンナさんと 待ち合わせ。セジョン文化会館前までタクシーで行き、そこからバスで富川漫画情報 センターへ向かうとのこと。(富川(プチョン)はソウルの近郊ベッドタウン/ソウル・プ チョン間は電車で50分程度)パク・ヨンナさんは以前日本文化院に勤務されていたそ うだ。現在はフリーで通訳や翻訳をされている。
 セジョン文化会館前でバスを待つ。「あのバスです。速く」そうか!韓国のバスは バス停にきちっと止まったりしないのだ。パクさんの後を追って走る。やれやれ。お ださんと二人じゃ乗れなかったね、絶対。
 館長の趙寛濟(チョ・カンジェ)さんが迎えてくれ、よく来たよく来たと館内を案内してく れる。富川漫画情報センターは、駅からも遠く立地的に良いとは決して言えないが施 設はなかなか充実している。職員の数も多く、韓国漫画の中心的な研究機関になろう とする意気込みがうかがえる。漫画資料のデータベース化も着々と進行中とのこと。 図書室では20人くらいの子供や若者が熱心に「読書」している。
 似顔絵プレゼントは予定より30分遅れ、14時30分スタート。女性漫画家のキ ム・ソックさん、「スポーツTODAY」に連載を持つというジョン・ヨンシクさん、も う一人金髪に染めた若手漫画家さん(名前不明)が協力してくれる。やはり日本文化 院ほどの集客は望めず、「近所の子供たちが集まった」感じ。
 渋滞で遅れた金水正(キム・スジョン)さんを待って17時過ぎから展示会場でOPENINGレ セプション。富川市長の参席はなく、関係者20人ほどのこぢんまりとした会。マッ コルリでコンベ(乾杯)。
   遅れて浦川さん、カン・イルグさんと共に僕の韓国の兄とも言える城東区福祉局長 ・田喜久(ジョン・ヒーグー)さんも現れる。「あらあら、ジョンさんこんなとこまで!」
 18時過ぎから少し離れた焼き肉レストランで歓迎宴会。もちろん田(ジョン)さんもつ いて来て堂々と僕のとなりに座られる。鎮露(チンロ)がおいしい。
 焼き肉も一段落でシクサ(食事)にかかる頃、漫画情報センターへのプレゼントとし て持参した「鉄腕アトム」の単行本を披露する。初版ではないが最初の単行本の1 巻、2巻、4巻、5巻の4冊。小学生の頃から持っていたもの。今回展示会を引き受 けてくださったことに感謝の気持ちを込めて贈呈することにした。まんだらけなんか でお金に替えるより有意義でしょ。李ヒ宰(イ・ヒジェ)さんがデジカメで表紙を撮影して いる。
  翌日は午前中から予定があるというので、鳳凰荘へは戻らず富川(プチョン)に泊ま ることにする。富川(プチョン)駅近くのTOWER HOTEL。趙寛濟(チョ・カンジェ)さんが送って くれ、「もう一軒行きましょう」
 夜の富川(プチョン)駅周辺はなかなかの賑わい。若者が多く活気がある。通訳のパク ・ヨンナさんも引き留められて、四人で趙寛濟(チョ・カンジェ)さん行きつけのスナック へ。テレビでは東京の日韓サッカーをやっている。
 話は日韓交流談義で盛り上がる。趙寛濟(チョ・カンジェ)さんがなんだか涙ぐんでいる。 通訳のパクさんも日本へ留学して日韓の橋渡しになろうと使命を感じたことなど熱く 話し出す。これだから日韓交流はやめられない。

 12月21日(木) 

 朝7時半、通勤・通学の人の流れが黙々と富川(プチョン)駅に吸い込まれていく。食堂 でソルロンタン(牛の白濁スープの雑炊)の朝食。白菜キムチとカクテキが壺入りで出 てくる。カットしていない。ハサミが置いていかれるので自分たちでチョキチョキ 切って食べる。
 今日はモギョタン(銭湯)へは行かず、ホテルのシャワーですます。
 10時、約束通り趙寛濟(チョ・カンジェ)さんが迎えに来てくださる。ひとまずタクシーで 漫画情報センターへ。ボランティア通訳のチェさんと合流し、ソンネ駅近くのドゥリ ・ストリートへ。金水正(キム・スジョン)さんの人気キャラクター「ドゥリ」を随所に散り ばめて新しい街づくりを目指しているとのこと。韓国もどんどん綺麗になってしま う。その「今日風」の商店街をぬけて、ポッサゴル文化センターへ。「PISAF」 が催されている。「PISAF」というのはPuchon International Student Animation Festival。全国の大学のアニメーション学科(研究会とかじゃない)の生徒 さんがそれぞれブースを構えて作品を発表している。「学生アニメ全国大会」といっ たところ。すごく熱心に取り組んでいるのがわかる。遊びの範囲じゃない。作家性豊 かな作品も。
 昼食は市役所近くの刺身食堂。「オ刺身チョット食ベマスカ」と趙寛濟(チョ・カンジェ) さん。「はいはい、お任せします」なんて言ってたら刺身の超大皿盛りがドカッ!カ ニも出てくるし、天ぷらも。最後はにぎり寿司まで。刺身は焼き肉と同様にサンチェ やゴマの葉に薬味と共にくるんで食べる。僕はゴマの葉(ケンニップ)が好きだ。しか し、趙寛濟(チョ・カンジェ)さんはあまり食が進んでいない。聞くと刺身は苦手なんだっ て。えーーーっ!!昨夜が焼き肉だったんで、今度は魚と考えてくださったのね。ミ アナムニダ(すいません)。
 午後2時からの似顔絵プレゼントはベテランのヨン・スンウンさんとパク・キソさ んともう一人若手の漫画家さん(名前不明)と一緒に。終了後、何パターンか写真撮影 で公式行事は無事終了。
 夕方から今度は漫画家協会主催の歓迎会ということでソウル市内へ。
 金水正(キム・スジョン)さんのオフィス「ドゥリ・ナラ(ドゥリの国)」の近くの「ボソ」 という店。今度はしゃぶしゃぶ。漫画家協会会長の金水正(キム・スジョン)さんをはじめと して金童話(キム・ドンファ)さん・李ヒ宰(イ・ヒジェ)さん・趙寛濟(チョ・カンジェ)さんという韓国
 漫画界大御所の顔ぶれ。昨日は欠席だった前会長の李斗號(イ・ドゥホ)さんもやってく る。李斗號(イ・ドゥホ)さんは大学の教授をされていて卒業展の準備で忙しいらしい。趙 寛濟(チョ・カンジェ)さんの後輩のアニメプロダクション経営の方が通訳してくれる。遅れ て浦川さんもやってくる。金水正(キム・スジョン)さんがサンサ(という木)の果実酒を盛ん に薦めてくれるが僕は鎮露が合う。金水正(キム・スジョン)さんは飲めないので、いつも通 りコーラ。韓国風しゃぶしゃぶというが、料理はタラノ芽も出ていたりして日式風。 生ガキは小振りの白菜の葉の上にのっている。
 9時過ぎにお開きとなり、地下鉄安国(アングック)駅で浦川さんと別れ、鳳凰荘へ。お ださんも大分お疲れの模様。早めに寝る。

 12月22日(金) 

 モギョタン(銭湯)へ行ってそのまま近くの食堂で朝食。おださんは辛くないカルビ タンで僕は辛いユッケジャン。また頭から汗をかく。
 公衆電話から田喜久(ジョン・ヒーグー)さんの携帯に電話。城東区役所のオフィスを訪ね るからと最寄り駅を聞く。お互い片言英語。「チハチョル(地下鉄)ライン2&ライン 5・・ウォンサンミ!」「OK!アイ ウィル ゴォ トゥ ウォンサンミ アバウト ヌー ン」
 さてと今日は最終日。荷物をまとめる。鳳凰荘をチェックアウトだけれど丁度オバ チャンもオジチャンもいなかった。ふくらんだバッグをゴロゴロ引っ張りながら日本 文化院へ。文化院保管にしていたこれまでの年賀状作品を引き取る。韓国作品は漫画 家協会が引き取ったそうだ。ファイルノートに3冊。うわっ。1冊はおださんのバッ グに頼む。
 文化院を出たところでおださんと別れる。おださんはキョボムンゴ(教保文庫)とい う大型書店へ。僕は仁寺洞(インサドン)で出展者の皆さんへのお土産購入。「じゃあ、4 時半に金浦空港で」
 いつものお洒落なアートショップ「ガナアート」へ。昔の店は陶器専門になり、 アートショップは別のビルに。ご発展だ。A4版のクリアホルダーを70枚購入。一層 重くなった荷物をゴロゴロ引き、地下鉄駅へ。
 ウォンサンミ駅を出て郵便局の前から田(ジョン)さんの携帯に電話 をするとすぐ やってきた。「タシロー」近くで待機してくれていたんだ。田(ジョン)さんの車で城東 区役所へ。
 まず食事にしようということで焼き肉屋さんへ。知っている市職員と近くにならな いよう席の選定を迷っている。骨付きカルビを頼んでくれる。「ディス・イズ・ シューペリアー」「うんうん最高級ね」「ミアナムニダ(すいません)」
 城東区役所玄関前で二人で記念撮影。生活福祉局局長室はさすがに立派。廊下から 入るとまず秘書さんのデスクとパソコン。奥へ進むと局長室。デスクとパソコンに応 接セットがあり、それと別に8人くらいが会議できる円卓。デスクの上には92年に やくみつるさんに描いてもらった似顔絵が置いてあった。家族のこととか、10キロ マラソン走ったとか最近登った山のこととか話す。秋に北韓(北朝鮮)の金剛山ツアー へ行ったそうだ。韓国の人は山登りが好きみたい。
 帰りは公用車で地下鉄の駅まで送ってくれる。お土産だと言ってキムチの大きな発 泡スチロール箱と韓国海苔ドバッと一塊り。ワオッ、持ちきれないよー。運転手さん が両手に重い荷物を持って地下鉄の階段を下りる。だから公用車だったのね。僕も両 手に荷物。僕はチケットで入るが運転手さんは「見送りだけだから」(多分)とか言っ て柵を乗り越えて入ってきちゃう。振り返ると田(ジョン)さんまで同じ様に乗り越えよ うとバタバタしてる。そんなぁ、局長さんらしからぬ。それに足が短くて・・危ない よー。駅員が見かねて職員用出入り口を開けてくれる。なんだかしらないけどみんな 急いでる。と、また折良くというか悪くというか丁度ホームに電車が入ってくる。ま だフライトまで4時間もあるっていうのにみんなで階段を駆けおりる。運転手さんが 荷物を運び入れ、僕も乗車。ドアが閉まる。
 ガラスの向こうで田(ジョン)さんがニコニコ手を振っている。僕も手を振る。三人と も「やれやれ」の共感の中で、嵐のような三泊四日が終わろうとしている。


日韓漫画交流詳細旅日記(おだ辰夫篇

 12月19日(火) 

 というわけで、このホームページ制作に協力したご縁で田代さんと二人で渡韓することになった。
 いざ家を出ようとしたら財布がないことに気がついた。パスポートはあるもののクレジットカードも現金も財布の中にすべて入っている。ポケットにあるのは前回渡韓時に余っていた16000ウォンだけだ。いくら探しても出てこないので机のひきだしにあった祝儀用のピン札数枚をわしづかみにして成田へ急ぐ。空港から家に電話したら炬燵の中に入っていたとのこと。なんか前途多難な幕開けである。
 宿泊する鳳凰荘はオンドルが心地よい韓国式の宿だ。夜、カトゥン・パンチのメンバーがやって来る。この中ではカン・イルグさんが少し日本語ができるのだが、彼と田代さんはバイク便に凧を渡すために出ていき、後に残されたのは日本語がわからないメンバーとワタクシだけ。
 一瞬沈黙が訪れたが、持てる語学力を総動員して世間話をする。あんなに疲れた世間話は初めてだ(笑)。あんたの韓国語はなまってないよとお世辞を言われたが、そんなことを言われるのはなまっていたのだろう。でも韓国人は通常お世辞は言わないから素直に喜んでおいた。
 

 12月20日(水) 

 午前八時前、沐浴湯に行く。横丁ではまだ昨夜からの屋台が開いていてにぎやかだ。
 沐浴湯の料金は3000ウォン。一階に入り口で料金を払い地下へおりる。靴脱ぎ場では靴磨きの人がいる。お客が自分の靴を磨いているのか、靴磨き屋さんなのかは不明。
 脱衣場にはロッカーがあるのは日本の銭湯と同じだ。中央においてある縁台にゆでたまごが置いてあるがサービスなのかどうかは不明だ。
 日本の銭湯との大きなちがいは脱衣場に床屋さんのイスがあることだ。それも三つも。入浴のついでに散髪する人もいるのだろう。映画「ペパーミントキャンデー」でもこんなシーンがあったから一般的なのだろう。
 浴室はサウナもあり広々としている。中央にはアカスリをしてもらう寝台がある。浴槽は水、普通の湯、すごく熱い湯の三つがある。カラスの行水ですぐに出る。
   沐浴湯を出ると午前八時すぎ。さすがに屋台も店じまいをしている。ヘジャンクッを食べに行ったら店内はオヤジばっかり(ワタクシもおやじですが)。その後行ったマクドナルドはカップルや若者だけ。世代によって行動パターンがちがうのはどこも同じだ。
 午後は富川漫画情報 センターで来場者の皆さんへの似顔絵プレゼント。
 センター内の壁に星野由美子さんの出品作品を題材にしたポスターが貼ってあり雰囲気が盛り上がる。
 ハングルで漫画葉書展をやってるよと書いてあるような気がする
 会場で韓国のスポーツ新聞スポーツTODAYで漫画を連載しているジョン・ヨンシクさんと再会。彼はMacUserの漫画家でワタクシと共通点も多く話が弾む。同じくMacUserのイ・ヒジェさんとも再会。彼とは年齢も同じで親しみがわく。
 彼らは二人ともG4を使用しているとのこと。G3のワタクシは涙。ほんとコンピュータ関連は完全に負けてるよなぁ。

 12月21日(木)

 午前は「PISAF」 見学。各大学の漫画科のブースがたくさんあり楽しい。コンピュータ、インターネット関連は日本より256倍は進んでいる韓国らしくいろんなコンピュータが並んでいる。
 日本との大きなちがいはクリエイティブな人でもMacではなくIBM互換機を使っている人が多いことだ。韓国ではMacOS搭載機は高価で、聞いた範囲では概算だが日本の二倍の感覚だ。一方IBM互換機の方は日本より安いから少々使いにくくてもそちらを導入するのだろう。それでも数校Mac(青白G3)を使用したブースあったので見たら、MacOS8.6が走っていた。
 ホセ大学のブースでFlashコンテンツっぽいものが動いていたので学生に質問したら、違うと言うのでソースを見たらJAVAだった。日本から来たと言ったら、担当のホン教授が説明をはじめてくれる。しかしJAVAはよくわからないのであまり質問も出来ない。JavaScript(JAVAとは関係ない)は少しわかるなんてトンチンカンなこと言ったら笑われそうなので最後まで説明を聞く。それでもコンピュータ用語はほぼ共通なのでなんとか意志の疎通はできた(ような気がする)。  
 富川漫画情報 センターに移動して富川漫画情報 センターホームページのWebmasterに会う。現場を見たいと言ったら制作会社に依託しているとのこと。macromediaの製品で制作しているらしいのはわかった。
 こちらはミミカキエディットでhtmlを書いていると言おうと思ったがわかってもらえそうにないので言わなかった。
 午後は昨日に続き来場者の皆さんへの似顔絵プレゼント。色紙に描くのだが最近は紙の作業はあまりやってないので久しぶりにペンを持つのだった(ヲイヲイ)。
 昨日も来た少女が今日も来た。描いてあげた絵が気に入ったからまた来たのかと聞いたら、なんと昨日ワタクシが描いてあげた色紙に自分で色を塗ったら失敗したからもう一枚ほしいとのことだった(笑)。
 じゃあ、せっかくだから(何がせっかくなんだか?)田代さんにまわす。
 そんなこんなでドッと疲れが出た。後で考えたらろくに会場の作品を見てなかった(笑)

 12月22日(金)

 またしても朝から沐浴湯へ行く。脱衣場で眼光鋭いオヤジが近寄ってくる。ゲッ、こっちは裸だしやばいと思ったら、どこに泊まってるのかと笑顔で聞いてきた。次に言ったのは「アカスリ、アカスリ。」と日本語で。そうかこのオヤジは客ではなくてアカスリ担当だったのだ。他には見当たらないからこの人が散髪もするのだろうか。ワタクシはすごく皮膚が弱いのでアカスリは丁重にお断りする。
 脱衣場のすみのテレビではモーニングショーの料理コーナーをやっている。本日は日本のお好み焼きだ。スタジオの女性アナウンサーが試食して複雑な表情をしている。これが日本の女性アナウンサーなら無理にでもにっこりする場面だが、韓国はわかりやすくて、とてもよい。
 宿をチェックアウト後、日本文化院に過去の展示作品を受け取りに行く。ここの受付は厳重でガラス越しに電話で交渉するのだが守衛さんは日本語はできない。それでもなんとか約束があるので来たことが伝わる。この数日でだいぶ耳が慣れてきたようだ。
 夕方空港で田代さんと会う約束をして、一人で大型書店の教保文庫に向かう。地下鉄の駅で路線図を見ていたらオジイサンが二人寄って来てどこに行くんだと聞いてくる。そのうちの一人は書家で(たぶん)以前横浜で展覧会を開いた(と言ったような気がする)そうだ。
 教保文庫にあるファストフードでプルコギバーガを食べる。注文するときソウルなまりっぽく(ほんとか?)言ってみたらちゃんと通じて嬉しかった。毎日豪華な食事をごちそうになっていたのに今回最後の食事がプルコギバーガってのもなんだかなぁ。
 教保文庫にはあまり漫画は置いていないが純情漫画誌(少女漫画誌を韓国ではこう表現する)は何冊か見かけた。気になるコンピュータ関連はMacもWinもすみにおいやられてインターネット関連の雑誌や書籍が主流となっていた。もはやコンシューマにとってOSの違いはどうでもよくなっているのかも知れない。これは世界共通の現象なのだろう 。
 しかしコンテンツ制作側にとってはまだまだMacOSの優位性は捨てがたいものがあるし、送り手と受け手でコンピュータに対する状況は変わっていくのだろうなと漠然と思いつつ空港に向かうのだった。 


---back---